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川越簡易裁判所 昭和32年(ろ)98号 判決 1958年7月17日

被告人 萩原一雄

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は起訴状記載の通りであるからこれを引用する。

よつて審按すると、被告人が自動車運転者であつて昭和三十二年四月二十日小型乗用自動車五き五一二〇号に榎本チヨ外四名を乗せてこれを運転し川越志木間県道上を大宮市方面に向つて進行し同日午前八時四十五分頃川越市大字大中居前六一番地先にさしかかり対向の一台のバスとすれ違つた直後その後方を進来した星野正行運転の小型貨物自動車埼四す二一五七号と正面衝突し因つて同人外起訴状記載の六名がそれぞれ同記載のような傷害を負つたことは証拠により明らかである。

しかして起訴状には、被告人は前示バスとすれ違う際「右バスのあげる土ほこりのため一時前方の見透が利かない状況に立ち至つたので斯かる場合自動車運転者としては自車の進路上に人車の通行の有無を確認し得ないので一旦停車の上土ほこりがおさまつて前方の見透が回復の上旧の運転に復し進行するか若しくは直ちに最徐行と同時に警音器を連続吹鳴し危険を感じた場合も直ちに安全に急停車をなし得る様慎重に運転し事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず被告人は不注意にも之を怠り……漫然進行を継続した過失により」前示衝突事故を生ぜしめたものである旨訴因が示されてある。しかし、たとい対向自動車とすれ違う際その土ほこりのため一時前方の見透が利かない状況に立ち至つたとしても道路及び交通の状況からして衝突等の危険がないものと判断される場合には一旦停車したり乃至警音器を連続吹鳴しつつ最徐行したりする等の義務はないものというべきである。ところで本件は、司法警察員の実況見分調書二通、当審検証調書、司法巡査の田中一郎供述調書、証人新井熙同岩浪正吉及び同星野正行の当公廷における各供述、証人田中一郎同柳井十同新井熙及び同大野正吉の各尋問調書、被告人の当公廷における供述、等を綜合すると、前示県道は幅員六・五米現場手前約六百米から先約四百米までは直線をなし平坦非舗装その両側は一面の田畑で当時麦が生育し樹木建造物その他前方の見透を妨げるもの殆んどなく所々に農道が交わつているが広い交叉路はなく事故当時は殆んど無風路面は乾燥しておりかつ道路右端には現場手前約百米から先約百五十米にわたり側溝からさらい上げた土が幅一米乃至一・三米高さ十糎位盛り上げてあり、対向の前示バスはこの盛土をさけ道路中央部を盛土の部分を除いた有効幅員の中心線すれすれに時速三十五粁乃至四十粁で物すごい土ほこりを立てながら進来しており、被告人は先行の同僚岩浪正吉運転の小型乗用自動車に八十米乃至百米おくれ該県道左側を時速四十粁乃至四十五粁で進行して現場にさしかかり前示バスとすれ違おうとしたがその際被告人の進路には前示岩浪正吉運転の自動車一台の外人車の通行なく又農道等から被告人の進路に入ろうとする人影等もないことを被告人は事前に確認し得たし、又前示バスの後方を進来する対向自動車等が前示中心線を越え突然被告人の進路に進入するようなことは予測し得ない状況であつたので、被告人は進行をつづけても衝突等の危険はないものと判断し一旦停車せず単に時速三十五粁乃至四十粁に減速しかつ道路左端から〇・五米位まで左に寄り警音器を吹鳴せずに進行をつづけ前示バスとすれ違つた瞬間はからずもその十米乃至十五米後方をこれとほぼ同一速度で進来した対向の星野正行運転の前示自動車が右バスの土ほこりをさけるため把手を左方(被告人側から見て)に切り前示中心線を越え被告人の進路直前に進入したので被告人は直ちに急停車措置を講じたが及ばずこれと正面衝突(双方の自動車の前面右半分の部分が衝突)するに至つたものであることが認められる。さて右の様な道路及び交通の状況の下においては被告人が前示バスとすれ違う際一旦停車したり乃至警音器を連続吹鳴しつつ最徐行したりする等右訴因に示されたような業務上の注意義務はなかつたものと解するのが相当であり、他に斯様な注意義務を必要とする状況の存在したことを認むべき証拠はない。尤も前掲実況見分調書添附の写真(四)(六)等を検すると被告人は前示バスとすれ違つた直後把手を多少右方に切り道路中央寄に出ようとしたことが看取されないことはないが、しかし被告人が前示中心線を越えて自ら相手方星野の自動車の進路に進入した事実は認められず、その他前示事故が被告人の他の何等かの業務上の注意義務の懈怠に因り生じたものであることを断定し得る証拠は存しない。結局本件は犯罪の証明がない。

よつて刑事訴訟法第三百三十六条に則り主文の通り判決する。

(別紙起訴状記載公訴事実略)

(裁判官 土方一義)

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